題名:主観世界を詠む -ショコラスペシャルからの思想-
報告者:ダレナン
文字や記号、画像といったコミュニケーションツールを利用して、ヒトは互いの共通の理解を測る。しかしながら、そのツールもヒトの個性によって種々様々であり、機構や精度もかなり異なる。そのため、コミュニケーションにおいて多々の誤解を招くことも少なくはない。それ以上に、ヒトの個性を形作ってきた幼児からの発達の特徴を考えると、幼児は外部の客観世界を正確に認知していくのではなく、環境世界に適応するように主観的な世界を内部構成することを知のベースとする1)。そのため、どのようにコミュニケーションツールの機構や精度を高めようとも、ヒトが持つ知のベースは、技術的な解決は図れても、生命的には解決の糸口すらも主観に至る。この辺が機械体である人工知能と、生命体であるヒトとの根本的な差となるに違いない。このようなヒトの知における本質に対して、情報学者の西垣通博士曰く1)、知は本来、主観的で一人称なものであり、結局は、個々のヒトの「主観世界」がこの地上に存在することを指摘している。ゆえに、本記事も主観的な知の記述となる。日本語の稚拙さはさておき、日本語を理解できる方なら本記事は読めるであろうが、詠むことは難しいとも言い換えることができようか*。表題の「主観世界を詠む」とは、本記事を介して、個々の内部を観測することになろうが、そのため、読む人にとっては、まったく価値がないと言われても致し方ない。その時は、読む側(読者)の主観世界で、これを詠んでいただければ幸いである。
一方、量子力学においては、観測の際に観測に伴う問題がある。名古屋大学の松原隆彦博士は、この問題について、以下のように指摘している3)。ヒトが判断を下す時には脳の中にある一つの電子の位置が主要な結果をもたらす。その一つの電子の位置は量子力学的に記述されるも、ヒトの意識の量子力学的な定式化が解明されていないために、観測に伴う解釈が正しいか間違っているかを証明する手立てがない。外部の客観世界もそれに準じるが、ましてやヒトの内部の主観世界は、この量子力学の立場からすれば、自らも詠むことができないとなる。個々の主観世界、これを心と詠むこともできようが、その心とは、脳の複雑な神経回路の働きが自己組織的に産み出した脳活動のパターンに過ぎないが4)、他人とのコミュニケーションも、本当は詠めない、自己組織的に創られた脳活動パターン(知)の、寄せ集めと言えるのかもしれない。しかしながら、ドゥーブルフロマージュにスペインのチョコヴィック社のチョコレートを加えたショコラドゥーブル+選べる人気商品1品である「奇跡の口どけセット ショコラスペシャル」5)は単なる寄せ集めではない。自らの脳活動パターン(知)が、自己組織的に欲する。これは、筆者だけの主観世界ではなく、読者の主観世界とも共鳴できる(に違いない)であろう。まさに、おいしそう(思想、相思相愛の)である。
図 ショコラスペシャル5)
1) 西垣通: 集合知とは ネット時代の「知」のゆくえ. 中公新書. 2013.
2) https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12193837 (閲覧2017.5.15)
3) http://www.c.phys.nagoya-u.ac.jp/taka/think/kansoku.html (閲覧2017.5.15)
4) http://www.tci.ac.jp/smj/wp-content/uploads/A-1浅野氏発題原稿.pdf (閲覧2017.5.15)
5) http://item.rakuten.co.jp/letao/f914/ (閲覧2017.5.15)
* :「読」は書いてあるものをみて言語化(黙読したり、音読したり)することで、「詠」は自分の中にある思いをある形式にのせ言語化する、または他人の作ったそれを同じ気持ちで追体験することである2)。
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