題名:「終わりなき愛の欲望」を推敲する
報告者:ナンカイン
本記事は、この記事の続きです。
愛の欲望は人間の本能でもあろうか。先の記事にてフランスのカトリーヌ・コルシニ監督による「熟れた本能」について触れたが、その邦題に勝るとも劣らん、表題「終わりなき愛の欲望」について推敲したい。先の記事では、「熟れた本能」の邦題について指摘したものの、恥ずかしいことに明らかに影響を受けている。
愛もお金もその間に信仰があり、そのベールをシンコーると仮称したが、その信仰との対象にあるものが欲望なのかもしれない。満たされない思いを満たそうとするも、満たせないほどに渇望するその様は、まさに欲望の塊でもある。一方で、信仰に関しては、満たされなくてもそのベールを感じとることによって、シンコーるを纏うことができる。そこからは、渇望することなく、何かが満たされる。行けども行けども砂しか見えない砂漠を歩き、水を欲している状況を欲望とするならば、気が付くと砂漠の中のオアシスにいる、そこで水を得て安堵が生じ、欲望も消失、やがてオアシスに信仰を見出すにも似ている。その想いを詩にしたためると、
きみにいつまでもみとれたい 何もいらないよ きみを愛しているよ こころの底から1)
とすることができようか。そして、いつしか
愛はいのちよりも前にあるから1)
ということに気づく。そして、消失した欲望から、やがて信仰が芽生え、その愛というオアシスの底には、人類がもつ「primal (最初の・原始の・根本の)」2)があることに気づき始める。そして、そこには、人類たるOriginal Loveも生まれ始める。
ここで、先の詩について説明すると、まごうことなき、Original Loveの田島貴男氏の力作であり、代表作でもある一曲に違いない、と改めて伝えたい。この曲の詳しい解釈は文献2)に委ねるも、「人が愛し合うことでいのちは紡がれていく。人のはじまりは愛である」とされ、それこそが、愛の本質、人間の本能でもあろう。熟れる、熟れない、売れる、売れないは、関係のない普遍的な永遠性でもある。ちなみに、この曲は、日本テレビ系連続ドラマ「オンリー・ユー~愛されて~」の主題歌でもあったことから、ある年代以上の人は知っている人も多いかもしれない。参考として、Youtubeも文献3)に示したい。
ただし、一方で、果てしない満たされない欲望は、終わりなき愛の欲望へとつながり、シンコーるなき愛のベールは、“物”への欲望へと変化する。愛とお金の交換によって、いつしかお金が欲する信仰が、お金にシンコーるを纏うこととなり、愛にはシンコーるされていない。「熟れた本能」では、カトリーヌ・コルシニ監督曰く、夫を「妻の愛情を得るのもお金の額によると考えるような男」として描いているが、愛とお金の対比が、「熟れた本能」ではうまく描かれている。その時、妻も“物”として扱われる。
だから、人は、誰かを愛する。それは、悠久の人類の歴史下においては「熟れた本能」として満たされるべき、人類の普遍的な永遠性である。
1) http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=57565 (閲覧2019.1.18)
2) https://otokake.com/matome/ZQITn9?page=2 (閲覧2019.1.18)
3) https://www.youtube.com/watch?v=lUGu2XM9mRI (閲覧2019.1.18)
4) http://cineref.com/kaiken/tabi.html (閲覧2019.1.18)
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